MR2復活までの軌跡を一気読みしたい方はこちら
日本のミッドシップスポーツカーの歴史は『AW11』から始まった
最近はエコカー減税や燃費が良いとの理由からハイブリット車が、もてはやされています。しかし日本で80年代から90年代にかけてスポーツカーが流行った時代がありました。その当時でも異彩を放っていた車の一つが『TOYOTA MR2』です。
MR2の最大の特徴はミッドシップというレイアウトにあります。
ミッドシップとは車の重量の中で最も重いエンジンを車体の前面ではなく後ろにレイアウトしています。
重量物を車体の中心に置くことで『走る』『曲がる』『止まる』という基本的な動作をより切れ味の良いものにしてくれます。 (上のイラストを見てもらえばわかりますが、実際には中心というより後輪の上にエンジンがありますので、RRに近いかもしれません。その代わりトラクションは非常にかかりやすいレイアウトになっています。)
スピードに凌ぎを削るレースの世界や超高級スポーツカーでは珍しくないミッドシップですが当時の日本では手の届かない車でした。
そんな背景のなか1984年6月8日、トヨタから国内初の量産ミッドシップレイアウトのスポーツカーとして生まれたのが初代MR2(AW11)です。
特筆されるのはミッドシップレイアウトの車を200万円以下という一般の人でも手の届く価格帯で販売したことです。
当時、大量生産されていたレビンやトレノのエンジン・ミッションを流用し、エンジンを横置き利用するなど既存のパーツを流用することででコストを抑え価格を低くすることを可能にしました。
カスタム設計の思想から生まれた車であれば到底、一般の人が手の届く金額で作ることは出来なかったはずです。
使えるものは流用しようというトヨタ的な発想がなければミッドシップカーにも一定の需要と価値があるということを証明出来なかったのではないでしょうか。
もしかしたらMR2が世に送り出されなかったら後に生産されるミッドシップ車であるホンダの『ビート』や『NSX』、そして最近発売された『S660』は存在しなかったかもしれません。
1989年10月 フルモデルチェンジを経て第2のステージへ
一般大衆車の一つとしての地位を確立させたMR2。そのあとを受けて1989年10月にフルモデルチェンジが施され誕生したのが2代目となる『SW20』です。
トヨタはコンパクトな初代MR2(AW11)に対して2代目MR2(SW20)は5ナンバーギリギリのサイズまで拡張させています。
ボディサイズの大型化に伴いエンジンサイズもテンロクから2リッターへ大容量化されました。
これは非力なハンドリングマシーンから動力性能を格段にアップさせ本格的なスポーツカーへ脱皮しようというトヨタの意気込みの表れだといえます。
デザインはリトラクタブルライトは残しつつ角ばったシャープな形から滑らかで流れるようなイメージへ一新している。
フルモデルチェンジ後の『1型』は大不評!?
満を持して発表された2代目MR2(SW20)ですが、順風満帆といえるものではありませんでした。
その理由は挙動の変化が急激で限界を越えると、すぐにスピンしてしまうピーキーな車として世間から厳しい評価を下されてしまったからです。
酷評されたてしまったSW20はその後、10年近くもの長い年月をかけ4度もマイナーチェンジを行うことになります。
フルモデルチェンジ後の評価の低さがトヨタの技術者達に火を付けてしまったのかもしれません。
1991年12月 SW20の進化は『2型』から始まる!!
そこで1991年12月のマイナーチェンジでは徹底的にサスペンションの見直しがはかられます。
サスペンションの構成部品・配置を見直しダンパーをビルシュタインに変更。またタイヤとホイールを14インチから15インチへのサイズアップが施された。
また高速走行時のダウンフォースをより得る為にリップスポイラーの大型化も行っている。
これらの変更により2型の運転はよりマイルドになり車輛の大きさとターボパワーに見合ったハンドリングを獲得することができました。
また1型ではGTのグレートしかなかったターボモデルに装備を簡略化した廉価版のGTSが追加され、より求めやすい価格帯になったおかげでMR2の人気は徐々に高まっていきます。
1993年10月 『3型』はエンジンパワーアップ!! そして扱いやすいスポーツABSを追加
2型では徹底的に足回りの改善を行いましたが1993年10月の3型へのマイナーチェンジではエンジンの改良を多く行っています。
タービンを大口径化し、フラップ式のエアフロ(Lジェトロ)を廃止し吸気制御をDジェトロへ変更される。(ただしNAは1型からDジェトロを採用していたので変更はありません。)
さらにブロック・ピストン・ヘッドなど細かい部分まで見直され225psから245psと大幅なパワーアップを果たしている。
エンジンパワーを上げた分、ブレーキも改良されており、3型からオプションでスポーツABSが設定されています。
このスポーツABSは単純にタイヤのロックを防止するだけでなく左右・前後のGセンサーを駆使して車体の挙動の状態や路面を感知し精密なブレーキ制御を行えるようになっている。
サーキット走行のようなスポーツドライビングでも非常にブレーキコントロールがしやすく高い評価を得ている。
さらにジオメトリーの見直しボディ取り付け部分の剛性強化など2型で大きく進化した足回りをさらに磨き上げている。
3型でのマイナーチェンジでSW20は、ある意味完成したともいえるかもしれません。
デザイン面ではテールランプやウイングの形状が変更されています。
1996年6月 『4型』 一番小さなマイナーチェンジ、だが安全機能は充実!!
4度に及ぶマイナーチェンジの中で一番、変更点の少ない4型ですが、3型ではオプション設定だったスポーツABSが標準装備されたりターボ・NA全車にデュアルSRSエアバックを付けるなど安全装備を充実させています。
マイナーチェンジで熟成を重ねたこと、車体の組み立て作業工程がこなれた事もあり、完成度は非常に高いと言われている。
またフロントのシグナルランプやクリアランスランプを今までのオレンジから白に変更してデザイン的にもスポーティーな感じを強調しています。
1997年12月 『5型』最後のマイナーチェンジ ここにSW20は完成する!!
1997年12月 遂に最後のマイナーチェンジが行われる。パッと見でわかる変更点は当時のスカイラインGTRなどに見られた形状のリアスポイラーです。
両端のアームでスポイラーを挟み込むような形状をしおり、角度調整機能も付いていてより強いダウンフォースを受けられる設計になっています。
ターボ(3S−GTE)に関しては2型 ⇨ 3型 ⇨ 4型とやり尽くした感があり最終型である5型では、むしろターボモデルよりもNAモデルにスポットが当てられている。
NA(3S-GE)はエンジン回転数やスロットル開度に応じて吸気側のカムを変化させバルブタイミングを可変させるVVT-iを新たに搭載することになった。
そのおかげでトルクが厚くなり、さらに高回転への伸びも飛躍的に改善されており、それまでのNAモデルとは別モノと呼べるくらいに向上している。
1999年10月 ミッドシップスポーツは次世代 MR−Sへバトンタッチ!!
1999年10月 MR2は生産終了し新たなミッドシップカーである『MR−S』へバトンタッチすることで『MR2』という名称は無くなり1984年から続く15年もの歴史に幕を閉じることになります。
99年頃にはミニバンやコンパクトカーなどが台頭してきており『MR2』の幕だけではなくスポーツカーブーム自体も終焉をむかえた感があります。
その後は知っての通りハイブリッドによるエコカーブームが始まります。
スポーツカーブームに乗って誕生しスポーツカーブームの終焉によって歴史に幕を閉じた『MR2』。
そんなMR2をまた復活させて乗ってみたいです。
果たしてその夢は叶うのかどうかは、今後の記事で紹介していこうと思います。
【2015年9月12日 追記】
MR2(SW20)の発売当初に作成されたプロモショーンをyoutubeで発見したので載せておきます。
古い映像なので画像は悪いですがご了承くださいm(_ _)m
次の記事は現在では珍しいTバールーフについてご紹介します
新シリーズMR2補完計画はこちらでご紹介!!
【MR2復活計画の後日談】新シリーズ!!MR2補完計画
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